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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)8352号 判決

原告 (旧姓乙山) 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 藤村義徳

被告 細谷博之

〈ほか一名〉

右被告両名訴訟代理人弁護士 菅原隆

主文

一  被告らは各自、原告に対し、金一九一八万九〇八一円及び内金一七一八万九〇八一円に対する昭和五四年七月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

五  被告細谷博之において金一九一八万円の担保を供するときは、原告の同被告に対する前項の仮執行をまぬがれることができる。

六  被告緑交通株式会社において金二二六二万円の担保を供するときは、原告の同被告に対する第四項の仮執行をまぬがれることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、各自原告に対し、金六一一四万〇二九五円及び内金五六一四万〇二九五円に対する昭和五四年七月八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

原告は、次の事故(以下「本件事故」という。)により後記の傷害を負った。

(一) 日時 昭和五四年七月八日午前零時四五分ころ

(二) 場所 埼玉県所沢市緑町一丁目一番地先路上

(三) 加害車 普通乗用自動車(大宮五五あ三一八三号、以下「加害車両」という。)

右運転者 被告細谷博之(以下「被告細谷」という。)

(四) 被害車 原動機付自転車(登録番号なし、以下「被害車両」という。)

右運転者 原告

(五) 態様 信号機のない交差点を走行中の被害車両と加害車両が出合頭に衝突した。

2  責任原因

(一) 被告細谷は、本件事故現場の信号機のない交差点(以下「本件交差点」という。)に進入するに際し、できる限り安全な速度と方法で進行する注意義務があったのに、これを怠り、制限速度を超える高速度のまま漫然直進進行した過失により本件事故を惹き起こしたものであるから、民法七〇九条の不法行為責任を負う。

(二) 被告緑交通株式会社(以下「被告会社」という。)は、加害車両を保有し、自己のためにこれを運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条の運行供用者責任を負う。

3  原告の傷害の部位・程度

原告は、本件事故のため上口唇右頬部挫創・右下腿挫傷挫創・前後十字靱帯断裂兼右外側々副靱帯断裂・外内側半月板損傷・大腿二頭筋断裂・右腓小頭骨折・腓骨神経麻痺・嗅覚脱出症の傷害を受け、昭和五四年七月八日から同年八月二日まで原田病院に、同日から同年一一月四日まで東京医科大学病院に、同日から昭和五五年七月一二日まで沢渡病院に、それぞれ入院し、昭和五四年七月二七日及び昭和五五年七月二二日から昭和五六年四月一五日までの間東京医科大学病院に、昭和五五年四月三日及び同年七月一七日から同年一二月二五日までの間原田病院に、それぞれ通院して治療を受けた。原告の症状は昭和五五年七月一七日に固定し(ただし、その後も症状観察及び形成手術のため、右のとおり通院している。)、後遺障害として、顔面に著しい醜状痕、左大腿内側及び外側に手術創(以上は自賠法施行令第二条別表後遺障害等級表の第七級一二号に該当)が、右膝関節に著しい機能障害(同表第一〇級一一号に該当)が、また嗅覚障害(脱出症。同表第一二級一二号の準用)がそれぞれ残り、以上は併合して同表第六級に該当する。

4  損害

(一) 治療費及び文書料 金八六万三六九〇円

原告は、治療費及び文書料(診断書代等)として、原田病院に対し金五九万四八九〇円、東京医科大学病院に対し金一八万〇一〇〇円、沢渡病院に対し金八万八七〇〇円を各支払った。

(二) 入院付添費 金一四万四〇〇〇円

原告は、前記症状のため入院当初の四八日間付添を必要とし、その間母ないし叔母の付添看護を受けた。近親者の付添費は一日当り金三〇〇〇円が相当であるから、四八日分で金一四万四〇〇〇円となる。

(三) 入院中諸雑費 金三七万三〇〇〇円

原告は、前記三七三日間の入院期間中、一日当り金一〇〇〇円の割合による雑費を要したので、三七三日分で金三七万三〇〇〇円となる。

(四) 通院等交通費 金六万六二一〇円

原告は、前記治療期間中の受診、退職手続等のために必要な交通費として金六万六二一〇円の支出を余儀なくされた。

(五) 事故証明書代 金一〇〇〇円

(六) 休業損害 金一〇六万三八五三円

原告は、本件事故当時家校法人丙川学園経営にかかる「丙田幼稚園」で教諭として勤務しており、本件事故に遭わなければ、昭和五四年七月八日から昭和五五年七月一七日(症状固定日)までの間、同園の給与表に基づく給与及び諸手当を得ることができた筈のところ、本件事故により右期間の休業を余儀なくされ、同年三月三一日には長期入院を理由に解雇された。これにより別表第一記載のとおり金一〇六万三八五三円の休業損害を被った。

(七) 逸失利益 金六四〇七万六一〇〇円

原告は、前記後遺障害により六七パーセントを下回らない労働能力を喪失し、かつ前記のとおり勤務していた「丙田幼稚園」を解雇されたことにより、次の損害を受けた。

(1) 給料等の損害 金五一二八万九六〇〇円

原告は、症状固定日の翌日である昭和五五年七月一八日当時二四才であり、本件事故がなければ、同日以降も前記幼稚園に同園の就業規則に定める定年(六〇才に達した時に属する学年度末((三月三一日)))まで勤務し、同園の給与表に基づく給与及び諸手当を得ることができた筈であり、これに私立学校教職員共済組合への長期掛金自己負担分を控除し、前記喪失割合を乗じて算出した額に、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、昭和五八年三月末日現在の原告の給料等の損害の現価を算定すると、別表第二記載のとおり金五一二八万九六〇〇円(一〇〇円未満切り捨て)となる。

(2) 退職後の損害 金一五〇万一四〇〇円

原告の右定年後六七才までの収入を、六一才に対応する昭和五六年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計の女子労働者の平均賃金一九三万八二〇〇円を基礎に、労働能力喪失割合六七パーセントを乗じて、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、原告の定年退職後の損害の現価を算定すると、次の計算式のとおり金一五〇万一四〇〇円(一〇〇円未満切り捨て)となる。

計算式 1,938,200×0.67×1.1562≒1,501,400

(3) 退職金損害 金三七八万〇九〇〇円

原告は、前記幼稚園教諭を解雇されたことにより、定年まで勤務した場合にうけられる筈であった退職金を喪失したところ、同園に適用される財団法人埼玉県私立幼稚園教職員退職金財団規約第八条によれば、退職金の額は退職した者の平均標準給与の月額に勤続期間及び退職理由に応ずる率を乗じて得た額とする旨規定されている。これによって算定すると、原告の退職金損害の現価は次のとおり金三七八万〇九〇〇円となる。

(イ) 退職時の平均標準給与の月額 金三七万円

(ロ) 乗ずべき率 五五・〇〇

(ハ) 中間利息控除

ライプニッツ式計算法による。

(ニ) 解雇により現実に支給された退職金 金二八万五〇〇〇円

(ホ) 計算式

370,000×55.00×0.1998-285,000≒3,780,900(100円未満切り捨て)

(4) 退職年金損害 金七五〇万四二〇〇円

私立学校教職員共済組合法二五条、国家公務員共済組合法七六条によれば、組合員期間が二〇年以上である者が退職したときはその者が死亡するまで退職年金を支給すること、同年金の額は退職前一年間の平均標準給与の年額の百分の四〇に相当する金額に、組合員期間が二〇年を超えるときはその金額にその超える年数一年につき平均標準給与の年額の百分の一・五に相当する金額を加えた金額とする旨規定されている。これによって、原告が定年退職後、少くとも平均余命年令の七九才までうけるべき年金の現価をライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次の計算式のとおり金七五〇万四二〇〇円(一〇〇円未満切り捨て)となる。

計算式 (370,000×12×40/100+370,000×12×1.5/100×20)×2.4145≒7,504,200

(八) 慰藉料 金一四〇〇万円

(1) 入通院慰藉料 金四〇〇万円

前記入通院期間等によると右金員が相当である。

(2) 後遺障害慰藉料 金一〇〇〇万円

原告の後遺障害は自賠法施行令第二条別表後遺障害等級表の併合六級に該当するところ、一生の仕事と決意した幼児教育に携わることを断念せざるを得なくなった等の諸事情を総合すると、右金員が相当である。

(九) 弁護士費用 金五〇〇万円

被告らは、原告の請求にもかかわらず、前記損害金を任意に支払わないので、原告は、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その報酬として金五〇〇万円を支払う旨を約した。

5  損害の填補 金一一二〇万円

原告は、本件事故による損害賠償として、加害車両が加入している自動車損害賠償責任保険契約に基づき金一〇六〇万五七一〇円、被告会社より金五九万四二九〇円の合計金一一二〇万円の支払を受けたので、これを前記損害額に充当すると、残額は金七四三八万七八五三円となる。

6  よって、原告は、被告細谷に対しては民法七〇九条に基づき、被告会社に対しては自賠法三条に基づき、前記5記載の損害賠償金の内金六一一四万〇二九五円とこれから弁護士費用金五〇〇万円を控除した他の損害賠償金五六一四万〇二九五円に対する本件事故発生日である昭和五四年七月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実中、加害車両が制限速度を若干超える速度で本件交差点に進入したことは認めるが、その余は争う。同2(二)の事実は認める。

3  同3の事実中、原告が本件事故による受傷のため、入通院治療を受けたことは認めるが、負傷の部位・程度、治療の期間・日数等は不知。後遺障害の内容・程度については争う。

4  同4の損害額の主張についてはいずれも争う。

なお、原告は、労働能力を六七パーセント喪失した旨主張するが、その理由として挙げる後遺障害のうち、顔面の醜状痕は形成可能であり、そうでなくとも労働能力とは関係のないものである。従って、労働能力の喪失との関係では右膝関節の機能障害及び嗅覚障害のみが問題となり、これは併合で自賠法施行令第二条別表後遺障害等級表の第九級に該当し、その労働能力喪失率は三〇パーセント程度とみるべきであり、また右の程度の後遺症に関する労働能力喪失期間は一〇年前後に限られるべきである。更に、原告は、本件事故がなければ「丙田幼稚園」に定年(六〇才)まで勤務した筈であるとし、これを前提に逸失利益を算定しているが、統計上幼稚園教諭はその殆んどが三〇才位までに結婚・出産、家事・育児、その他諸々の原因により退職しており、その後も勤務を続けるのはその多くが幼稚園園長ないしその親族に限られているとみられる。従って、本件においても原告が幼稚園教諭としての収入を得られたのは三〇才までとすべきであり、以後は家庭の主婦として、女子全労働者の全年齢学歴計の平均賃金を基礎に逸失利益を算出すべきである。

5  同5の事実中、損害の填補額については認める。

三  過失相殺の抗弁

本件事故現場には、被害車両進路に一時停止の標識があり、また原告は、交差点を加害車両進路の右方から左方に向かって通過しようとしたのであり、加害車両は被害車両に対し左方優先の関係にあるところ、原告には、一旦停止を怠ったうえ、加害車両が前照灯を上下して交差点を通過する合図をしているのに、これを無視し、加害車両とほぼ同速度の時速約三五キロメートルで交差点に進入した過失があり、従って、原告の損害額を算定するにあたっては、原告の右過失を斟酌し、六〇パーセントの過失相殺をすべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実中、被告主張の一時停止の標識が存在すること、被害車両の進行方向が加害車両の右方から左方であることは認めるが、その余は否認する。原告は、一時停止線で停止し、左右の安全を確認したうえで交差点に進入しており、一方、加害車両は前方不注視のまま猛スピードで走行してきて、被害車両の左側面に衝突したのであるから、被告細谷の過失は重大である。

第三証拠《省略》

理由

一  請求の原因1(事故の発生)の事実は、当事者間に争いがない。

二  同2(責任原因)の(一)の事実中、加害車両が制限速度を超える速度で本件交差点に進入したこと、並びに同(二)の事実は当事者間に争いがない(なお、右の超える速度の程度に争いがある。)。

三  そこで、まず本件事故の態様について判断する。

被害車両の進路に一時停止の標識があったことは、当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、本件事故現場は、上新井方面から新所沢駅方面に通じる幅員約七・四メートル(路側帯の内側は約五・七メートル)の通路と松葉町方面から緑町三丁目方面に通じる幅員約七・二五メートルの道路とがおおむね十字に交わる交通整理の行われていない交差点であり、左右の交差道路に対する見とおしは極めて悪く、最高速度は時速三〇キロメートルに規制されていること、被告細谷は、上新井方面から新所沢駅方面に向けて加害車両を運転し、夜間で交通閑散なのに気を許し、制限速度を超える時速約三五ないし四〇キロメートルの速度のまま本件交差点に差しかかったこと、原告は、松葉町方面から緑町三丁目方面に向けて被害車両を運転し、本件交差点手前で一時停止の標識に従い一旦停止したうえ、停止位置からは交差道路の見通しがきかないため、発進して交差点に進入し、左方を見たところ、左方道路から加害車両が接近してくるのに気付いたが、自車が先に交差点を通過できるものと速断し、時速一〇キロメートル前後の速度でアクセルをふかして進行したこと、被告細谷は、右方から左方に直進しようとしている被害車両を、交差点に進入してから右前方数メートル先に初めて発見し、ハンドルを左に転把するとともに急ブレーキをかけたが間に合わず、自車右前部角付近を被害車両前部に衝突させたこと、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、被告らは、原告は一時停止を怠り加害車両とほぼ同じ速度で本件交差点に進入していると主張し、《証拠省略》中には被告らの右主張に沿う部分がある。

しかし、実況見分調書の記載中の被告らの右主張に沿う部分すなわち被告細谷の指示説明部分には、被告細谷が右斜め前方約八・〇五メートルの地点に被害車両を発見してのち、衝突地点まで加害車両が約四・九五メートル、被害車両が約五・四メートル進行しているとあるのであるが、右の指示説明によれば、加害車両が急ブレーキをかけたとしても、空走距離を考えると、被害車両の速度が加害車両のそれを上回っていたことになり、不自然の感を免れないから右記載はこれを採用できず、またその余の右主張に沿う各部分も、《証拠省略》に対比しこれを採用しない。他に被告らの右主張の点を肯認するに足りる証拠はない。

右事実によれば、被告細谷は、交通整理の行なわれていない見通しの悪い交差点に進入するにあたり、交差道路を通行する車両に注意し、できる限り安全な速度と方法で進行しなければならない注意義務があるのに、これを怠り、交差道路に対する十分な安全確認をすることなく、漫然制限速度を超える速度で本件交差点に進入した過失により本件事故を惹起したものであり、交差道路に一時停止の標識がある場合でも右注意義務を免れることはないから、被告細谷が民法七〇九条の不法行為責任を負うことは明らかである。

しかし、前記事実によれば、原告にも本件事故発生について過失のあることが認められる。すなわち、原告は、自己の進行道路に一時停止の標識が設置されていたのであるから、加害車両を発見した時点でその動静に十分注意し、同車が接近している場合にはその通過を待つなどして進行すべきところ、不注意にも判断を誤り、本件事故発生に至ったのである。そして、原告の右過失については、前記各事実、その他諸般の事情と併わせ考えると、右過失の割合を三五パーセントとして本件の損害賠償額算定に当たり斟酌するのが相当である。

四  原告の傷害の部位・程度についてみてみるに、《証拠省略》を総合すれば、請求の原因3の事実中、本件事故により原告がその主張のとおりの傷害を被って、各入院治療を受けたこと、昭和五四年七月二七日の一回と昭和五五年八月二八日から同年一二月二二日までの間に四回は東京医科大学病院へ、昭和五五年四月三日には原田病院へ、それぞれ通院のうえ各治療を受けたこと(なお、原告がそれ以上の回数にわたり通院治療を受けた事実は、本件全証拠によるもこれを認めることができない。)、原告の症状は昭和五五年七月一七日固定し、後遺障害として、右顔面醜状痕(長さ二センチメートル、巾〇・三センチメートルと、長さ二・五センチメートル、巾〇・五センチメートルのもの、但し、将来形成術を要するとされている。)、右大腿外側に長さ三五センチメートルの、同内側に長さ二五センチメートルの各手術創がそれぞれ残ったこと、右膝関節の屈曲伸展障害(伸展はマイナス一〇度、屈曲は九〇度)が残り、正座が不能な状態であること、嗅覚障害(脱出症)が存在すること、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、原告の各後遺障害はいずれも原告主張のとおりの障害等級に該当し、併合して第六級に相当するものというべきである。

五  損害について判断する。

1  治療費及び文書料 金八六万三六九〇円

《証拠省略》によれば、原告は、本件事故により受けた前記傷害に関する治療費及び文書料として、原田病院に対し昭和五四年七月八日から同年八月二日までの分及び昭和五五年四月三日の分として金五九万四八九〇円を、東京医科大学病院に対し昭和五四年七月二七日の分及び同年八月二日から同年一一月四日までの分として金一七万六三〇〇円を、また昭和五五年八月二八日から同年一二月二二日までの分として金三八〇〇円を、沢渡病院に対し昭和五四年一一月四日から昭和五五年七月一二日までの分として金八万八七〇〇円を、各支払ったことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、前示のとおり、原告の症状は昭和五五年七月一七日に固定しているから、右支出のうち、東京医科大学病院における金三八〇〇円は、症状固定後の治療費となるが、弁論の全趣旨によれば、それは原告の症状の経過観察等のため必要なものであったことが推認され、この推認をさまたげるべき証拠はないから、本件事故との相当因果関係を肯定できる。したがって、治療費等の損害は、右の合計金八六万三六九〇円となる。

2  入院付添費 金一四万四〇〇〇円

《証拠省略》によると、原告は、前記入院期間のうち、原田病院に入院していた二六日間、東京医科大学病院に転院して当初しばらくの期間及び同病院において手術を受けた前後相当の期間の合計して少くとも四八日間は付添看護を必要とし、右期間中原告の母あるいは叔母が付添看護をしたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして近親者の付添看護料としては、一日当り金三〇〇〇円が相当であるから、これにより計算すると金一四万四〇〇〇円が入院付添費の損害となる。

3  入院中諸雑費 金二五万九七〇〇円

原告の前記入院期間は合計三七一日になるところ、入院雑費として一日当たり金七〇〇円を下らない費用を要したものと推認するのが相当であるから、これにより計算すると金二五万九七〇〇円が入院雑費の損害となる。

4  通院等交通費

原告主張の通院等交通費については、これを認めるに足りる証拠はない。

5  事故証明書代 金一〇〇〇円

《証拠省略》によれば、原告は、本件事故の証明書交付手数料として金一〇〇〇円を要したことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

6  休業損害 金一〇八万四八四四円

既に認定した原告の入院期間等の治療経過に鑑みると、原告は、昭和五四年七月八日から症状固定日である昭和五五年七月一七日までの間、本件事故による受傷のため就労することができなかったものと推認され、右推認を左右するに足りる証拠はなく、《証拠省略》を総合すると、原告は、昭和三一年二月一五日生れで、○○短期大学卒業後の昭和五一年四月から学校法人丙川学園の経営する「丙田幼稚園」に女性教諭として勤務していたが、昭和五五年三月三一日付で本件事故による長期の休職を理由に解雇されたこと、原告は、右解雇までは期末手当の一部を除いて給与等を支給を受けていたが、右事故がなければ引き続き右幼稚園に在職し給与等を得られた筈であること、同園における教諭に対する給与の支給は埼玉県公立小中学校教職員につき適用される給与表に基づいており、毎月の支給総額は、本給とその四パーセントの割合の教職員調整手当を合計した額に、更にその三パーセントにあたる調整手当を加算した金額であり、そのほか毎年六月、一二月、三月に各期末手当の支給がなされていたこと、これまで原告は、原告と同時期に採用された同僚訴外柳富貴子(昭和三〇年八月二五日生)とともに毎年四月に定期昇給してきており、原告の右解雇当時の本給は月額金一二万〇七〇〇円(二等級七号俸相当)であったが、昭和五五年四月からの本給は月額金一二万六五〇〇円(同八号俸相当)になる予定であったのであり、同園に在職中の右柳は現に右のとおり、昇給していること、訴外柳富貴子の昭和五四年一二月の期末手当は金三七万四九四九円(月の支給総額の二・九か月分)、昭和五五年三月の期末手当は金六万四六四六円(同〇・五か月分)、同年六月の期末手当は金二三万〇三六〇円(同一・七か月分)であり、原告も本件事故がなく勤務していれば、右同額の各期末手当が得られた筈であること、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実によれば、原告は、別紙計算書(一)のとおり(なお、原告は給与から長期掛金の自己負担分を控除して計算しているが、後に判示するとおり、退職年金の損害は認容しないので、右の控除はしない。)、金一〇八万四八四四円の休業損害を被ったものと認められる。

7  逸失利益

原告には、前記四認定のとおり併合して第六級相当(いわゆる自賠責保険における労働能力喪失率は六七パーセント)の後遺障害があるところ、まず労働能力の喪失割合について検討するに、原告の後遺障害のうち、顔面醜状痕については、それ自体として本来身体的な機能障害をもたらすものではないが、本件における原告の性別、年令、職業、醜状痕の部位・程度及びその他諸般の事情を考えると、他に職を求めるにしてもこれが不利な条件となることは十分首肯しうるところであるから、被告らの主張するように右による労働能力の喪失を全く否定し去ることは相当でなく、右膝関節の機能障害と嗅覚障害のみを考慮すると併合して九級(自賠責保険における労働能力喪失率は三五パーセント)に該当するから、本件における原告のすべての後遺障害により将来の減収が見込まれる原告の労働能力喪失割合は、これと前記喪失率(六七パーセント)のほぼ中間にあたる五〇パーセント)とするのが相当である。よって、以下においては、右の喪失割合をもとに損害額を算定することとする。

(一)  給与等の損害 金二三五四万九九〇一円

前示のとおり、原告は昭和五五年三月三一日解雇されたが、本件事故がなければ、症状固定日の翌日である昭和五五年七月一八日以降も前記「丙田幼稚園」に教諭として在職し、前記給与表に基づく収入が得られた筈である。

ところで、原告は、同園における稼働期間を定年である六〇才までと主張するところ、確かにその職業自体は安定性を有し、原告の意思如何で定年まで在職することが可能といえる余地もあり、《証拠省略》中にはこれに沿う部分もある。しかしながら、《証拠省略》を総合すると、①昭和五六年度における統計(賃金センサス第三巻第三表)によれば、幼稚園の女性教諭である全国三七七三名の年令構成は、三〇才以上の者が約二〇パーセント、四〇才以上の者が約一〇パーセント、四五才以上の者が約七パーセント、五〇才以上の者が約四パーセント、五五才以上の者となると約二パーセントにすぎないこと、②同年度における前記幼稚園のある埼玉県下の統計(賃金センサス第四巻第二表)によると、幼稚園の女性教諭である四一四名の平均年令は二六・二才で、平均勤続年数は三・七年であること、③所沢市内の一幼稚園(所沢文化幼稚園)における昭和五二年四月から昭和五七年三月までの間において就職した全女性教諭八〇名の平均勤続年数は三・三年、退職時の平均年令は二三・五才、退職の動機の大半は結婚と育児であること、④「丙田幼稚園」においては、昭和五七年六月の時点で、昭和四六年二月開設以来勤務した女性教諭の数は三三名で、平均勤続年数は三年五月、平均退職年令は二四才八月、その動機の大半は前同様結婚と育児であること、⑤原告は本件事故当時同園に勤務して三年三月(原告は二三才)を経過していたが、右事故によって昭和五五年三月解雇された後の昭和五六年五月に結婚し、後遺障害もあって以後は家庭の主婦として家事に従事して現在に至っていること、以上の事実が認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。右各事実によれば、現時点における一般的傾向としては、幼稚園教諭は早期に退職する場合が多く、「丙田幼稚園」においてもその例外ではないこと、原告も本件事故当時は未だ実務経験が浅く幼稚園教諭として安定した時期に至っているともいい難いこと等を考えると、原告が定年まで前記幼稚園の教諭として在職する高度の蓋然性があったと断定することは困難であるが、前記事情に、《証拠省略》によれば原告が幼稚園教諭を一生の仕事と考えていたことが認められる(右認定を左右すべき証拠はない。)点をも斟酌すれば、原告は、少くとも四五才(前記①の統計では約七パーセントに該当)の年度末である昭和七六年三月三一日まで同園に教諭として在職するものと推認することができる。

右推認を左右するに足りる証拠はない。

「丙田幼稚園」における給与等の支給基準については既に前記6で認定したとおりであるが、《証拠省略》によれば、右幼稚園では、原告の症状固定日以降本件口頭弁論終結時まで、毎年四月一日に昇給が実施されているほか、昭和五五年一〇月、昭和五七年一月及び昭和五八年一月にそれぞれベースアップがあり、給与表が改訂されていること、原告の同僚訴外柳富貴子の給与等は、右昇給及びベースアップに従ったものになっており、その本給の金額は、昭和五五年七月当時が金一二万六五〇〇円、同年一〇月からが金一三万二三〇〇円、昭和五六年四月一日からが金一三万八四〇〇円、昭和五七年一月からが金一四万五九〇〇円、同年四月からが金一五万二三〇〇円、昭和五八年一月からが金一五万九六〇〇円、同年四月からが金一六万六三〇〇円となっているのであり、また、期末手当の支給率は、右本給に調整手当を加算した金額を基礎に、六月が一・七か月分、一二月が二・七か月分、三月が〇・五か月分であったことが認められ、右認定に反する証拠はなく、原告においても、これと同等の収入を得ることができたものと推認でき(この推認を左右すべき証拠はない。)から、右時点までは訴外柳富貴子の右給与等の額に則って原告の得べかりし給与額を算定し、それ以降の分については昭和五八年一月現在の給与表を基礎に昇給を加味した前記支給基準(年収は、本給に調整手当を加算した金額の一六・九か月分)に従って算定することとする。これによって、原告の症状が固定した日の翌日である昭和五五年七月一八日から前記退職見込み時期である昭和七六年三月三一日までの各年別の給与等を計算し(ただし、前同様長期掛金の自己負担分は控除しない。)、これに前記労働能力喪失割合五〇パーセントを乗じた金額を基礎として、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、原告の症状固定後の得べかりし給与等の損害の症状固定時における現価を算定すると、別紙計算書(二)のとおり、合計金二三五四万九九〇一円となる。

(二)  退職後の損害 金五四九万五六五一円

原告が前記幼稚園を退職すると見込まれる四五才以降については、原告は、就労可能年令である六七才までの二二年間にわたり、少くとも昭和五七年度賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・高専・短大卒の女子労働者全年齢計の平均賃金である年額金二三二万六三〇〇円を下まわらない収入を得られるものと推認され(この推認を左右すべき証拠はない。)、これに前記労働能力喪失割合五〇パーセントを乗じた金額を基礎として、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、原告の退職後の損害の症状固定時における現価を算定すると、次の計算式のとおり金五四九万五六五一円(一円未満切り捨て)となる。

計算式  2,326,300×0.5×(17.5459-12.8211)=5,495,651

(三)  退職金損害 金一〇七万六七二四円

原告が四五才の年度末である昭和七六年三月三一日まで「丙田幼稚園」に在職するものと推認すべきことは前示のとおりであるところ、《証拠省略》によれば、同園においては、原告主張のとおりの内容の埼玉県私立幼稚園教職員退職金財団規約に従って退職金を支給する定めであったことが認められ、右認定に反する証拠はなく、原告も退職時には右規約により退職金を得られた筈であるから、原告の退職前二年間の給与予測は別紙計算書(二)記載のとおりであって、右規約九条による退職時の平均標準給与の月額は金二九万円となり、また、右規約別表1による勤続期間二四年から二五年の場合の普通退職の支給乗率は二五・八となるから、原告の右退職金の額は金七四八万二〇〇〇円となる。ところで、本件においては、前記のとおり原告の労働能力喪失割合を五〇パーセントとみるべきであるから、これを乗じた額が本件事故と相当因果関係のある原告の退職金損害となるのであり、これを基礎に前同様年五分の割合による中間利息をライプニッツ式計算法により控除して原告の退職金損害の症状固定時における現価を算出し、なお既に金二八万五〇〇〇円を退職金として現実に支給されている(原告の自認するところである。)から、これを控除すると、差額は次の計算式のとおり金一〇七万六七二四円(一円未満切り捨て)となる。

計算式 290,000×25.8×0.364-285,000=1,076,724

(四)  退職年金損害

原告は、定年退職後私立学校教職員共済組合法(以下「私学共法」という。)二五条及び同法により準用される国家公務員共済組合法(以下「国公共法」という。)七六条によって退職年金七五〇万四二〇〇円を受給できた筈のところ、本件事故によってこれを失ったと主張する。

まず、原告の「丙田幼稚園」における在職期間を昭和七六年三月三一日までとすべきことは前示のとおりであるから、これを前提として考えてみると、組合員期間については、昭和五一年四月から二〇年以上となり、原告の年金受給資格については、欠けるところがない(国公共法七六条一項)。次に本件における退職年金の損害とは、基本的に、原告が前記幼稚園に勤務を続けたとすれば退職後受給できたであろう年金額と原告が今後加入することのできる他の公的年金からの支給額とを保険料も含めて対比し、収入減があった場合にその差額がこれにあたることになる筋合いである。これを本件についてみると、現行規定によれば、原告の受給すべき退職年金額は俸給年額の百分の四〇に、二〇年を超える年数一年につき俸給年額の百分の一・五を加算した金額であり(国公共法七六条二項)、他方、他の公的年金制度である厚生年金保険法四三条、国民年金法二七条にもそれぞれ年金額の定めがあるけれども、これらを単純に比較して損害額を確定するには、なお慎重な検討を必要とする。

すなわち、そもそも原告が退職年金の受給権を得るのは四五才の時(症状固定日より二一年先)であるところ、退職年金はこれを受ける権利を有する者が六〇才未満であるときは、六〇才未満である間原則としてその支給が停止されることになっている(国公共法七七条二項)から、原告が現実に支給を受け始めるのは症状固定日より約三六年先となるわけであるが、かかる遠い将来(いわゆる終戦後今日までが、約三八年である。)においても、なお前記の年金支給基準が維持されているか否かについては、不確定な要素があまりにも多すぎるのであって、例えば年金額は「国民の生活水準その他の諸事情に著しい変動が生じた場合には、変動後の諸事情に応ずるため、すみやかに改定の措置が講ぜられなければならない。」(私学共法一条の二、なお国公共法一条の二も同旨である。)とされており、また厚生年金保険法二条の二、国民年金法四条一項にも同旨の規定が置かれている。このように、公的年金制度の中核たる年金額一つをとってみても、時代の変化に応じて変動することが法律上当然に予想されており、その額の永続性には多大の疑問がある、といわざるを得ないのみならず、現在既に国その他によって、近い将来のいわゆる高令化社会に備え、公的年金制度等につき将来の財政事情の予測を含む多角的な検討が進められつつあることは公知の事実である。してみると、少くとも現在の支給基準による退職年金額が二一年ないし三六年先においても維持され続けているとみるのは甚だ現実的ではないのであって、この点は他の公的年金においても同様であるから、結局、現時点において、原告の退職年金に関する損害を高い蓋然性をもって予測算定することはとうていできないものというほかはない。したがって原告の右主張は、採用できない。

8  慰藉料 金一一二〇万円

本件事故の態様、治療の経過、傷害及び後遺障害の部位・程度、入通院期間、その他既に認定した諸般の事情(ただし、原告の過失は後記過失相殺として斟酌)及び《証拠略)によれば、本件事故の損害賠償に関して被告細谷はこれを放置したままやがて被告会社を退社し、被告会社自身もその加入するいわゆる任意保険の損害保険会社に処理をまかせきりにしてこれを放置し、原告に対しては極めて不誠意とみられてもやむを得ない状況のままで今日に至ったこと、他方右の保険会社の事務担当者は、本件の損害賠償に関する示談に関与した本件訴訟代理人藤村義徳弁護士に対して、昭和五六年六月一九日、支払うべき損害賠償額としては自賠責保険等による既払分を除き金五万〇二一二円である旨を呈示して原告及び同弁護士をいたく憤慨させ、やむなく原告は、同年七月二一日同弁護士を訴訟代理人として本訴を提起するに至ったことが認められ、右認定を左右すべき証拠のないことを総合考慮すると、原告が本件事故により被った精神的打撃に対する慰藉料としては、傷害につき金二二〇万円、後遺障害につき金九〇〇万円とするのが相当である。

六  過失相殺

前記五の1ないし8の損害額を合計すると金四三六七万五五一〇円となり、これから前記三で判示したとおり三五パーセントの過失相殺をすると、原告の損害額は金二八三八万九〇八一円(一円未満切り捨て)となる。

七  損害のてん補

原告が本件事故による損害賠償として、加害車両が加入しているいわゆる自賠責保険から金一〇六〇万五七一〇円、被告会社から金五九万四二九〇円の合計金一一二〇万円のてん補をうけたことは原告の自認するところであるから、前記六の過失相殺後の金額からこれを控除すると、残額は金一七一八万九〇八一円となる。

八  弁護士費用 金二〇〇万円

原告が、前記損害金の任意の支払を受けられないため、前認定の経緯によって本訴の提起、遂行を弁護士である原告訴訟代理人に委任することを余儀なくされたことは、弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事案の難易、審理の経過、前記認容額等に照らすと、原告が被告らに対し本件事故と相当因果関係ある損害として賠償を求めうる弁護士費用としては、金二〇〇万円をもって相当とする。

九  結論

以上によれば、原告の本訴請求は、被告らに対し、連帯して、金一九一八万九〇八一円及びこれから弁護士費用金二〇〇万円を除いた金一七一八万九〇八一円に対する本件事故日である昭和五四年七月八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余の理由がないのでいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九三条、九二条、八九条を、仮執行の宣言及びその免脱宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仙田富士夫 裁判官 武田聿弘 松本久)

〈以下省略〉

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